弁護士豊﨑寿昌の気まぐれ業務日誌

日々の業務、雑感、個人的興味を雑多に書いてます。

トランプ大統領と民主主義と

大方の世論調査やマスコミの予想を裏切って、共和党のトランプ候補がアメリカ大統領選に当選しました。

 

アメリカ自体、いやそれを超えて、世界の秩序や民主主義の危機であるかのように報道するマスコミも多いようでしたが、当選後、トランプ氏は、予想よりは穏便な言動に終始しており、当初予想された大混乱はとりあえず収束しつつあるようです。

「いままで『当選するための候補者としてのトランプ』を演じてきたドナルド・トランプ氏が、今度は『国民や世界から尊敬される大統領としてのトランプ』を演じようとするのではないかと思います」なる楽観的な論調も出ており、そのとおりであれば望ましいことでしょうね。

www.huffingtonpost.jp

 

ただし、選挙期間中に「当選するための候補者としてのトランプ」氏が火をつけてしまった差別的、人種主義的な対立が簡単に収束するとは思えず、アメリカの民主主義においての火種として残ってしまう点は無視できないと思います。

 

民主制というものは、民主主義を破壊しかねない人物も民主的な方法で選んでしまうという欠陥を持った制度です。かのヒトラーも、政権につくまでは民主的な選挙によって選ばれ、独裁的権力を手中にした全権委任法も、民主的な選挙で選ばれたはずの議会で承認されたから成立したわけです。

 

そうであるからこそ、民主主義には、一時の民意によって、全てが変えられてしまい、民主制の基盤そのものが壊されることがないように、権力の分立と相互の牽制のシステムが組み込まれています。小学校から社会の授業で教わる「三権分立」は、その代表的なものです。

 

最近の傾向で気になるのは、どの先進国も、こうした権力相互の牽制のシステムが民主主義を担保していることが忘れられ、ともすれば単に不効率な仕組みであるという捉えられ方をすることです。

日本で言えば、衆参の「ねじれ現象」は、「決められない政治」の代名詞のように言われましたが、多くの国が何のために二院制を取っているかと言えば、二院間の権力の県政の仕組みが、立法府及び行政府の暴走を抑える機能を持っているからです。

 

民主主義にとって危険にも見える指導者が現れたときこそ、こうした権力分立の仕組みが有効に機能するのかが問われると考えます。