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弁護士豊﨑寿昌の気まぐれ業務日誌

日々の業務、雑感、個人的興味を雑多に書いてます。

オータムスクールに参加して その2

先日の続きです。

 

先日の記事はこちら。

 

toyosaki.hatenablog.com

 

この模擬裁判のシナリオは、売れない小説家が書いた小説が特定個人のプライバシーを暴くものであるとして、イケメン有名弁護士有名弁護士から出版差し止めを求められる………というものなのですが、これってよくあるただの民事裁判に見えて、憲法上の人権同士が衝突するという、司法試験の問題にも出そうな類型の紛争です。

 

要するに、売れない小説家の「表現の自由」(憲法21条)と、イケメン有名弁護士の「プライバシーの権利」(憲法13条に由来)が衝突しているわけですね。あ、プライバシーの権利自体は、明文で日本国憲法には記載されていませんが、憲法13条の「幸福追求権」の一種として、解釈上の「新しい人権」としては、ほぼ争いなく認められています。

 

しかし、このシナリオに出てくる尋問内容自体では、この「表現の自由」自体の論点はあまり出てきません。イケメン有名弁護士の「プライバシー」にかかる点については、かなり突っ込んだ論争が交わされるのですが、売れない小説家の方に対する尋問では、出版差し止めになると困る事情としては、小説家の生計が成り立たなくなるという経済的事情の方に焦点が当てられています。

 

しかし、「生計が成り立たなくなる」という「経済的権利」を理由に、相手の「プライバシー」を侵害できるというのは明らかにおかしな理屈です。これだと、同じ内容の表現行為でも、プロの小説家や評論家によって書かれれば許され、一般人が道楽で書かれれば許されないということになりますが、おかしな結論であることはすぐにわかるでしょう。

 

実際、「表現の自由」というものは、その表現者個人の問題と言うよりは、民主主義社会を支える基本的な基盤の問題なのです。自由な言論が行き交う、言論の「自由市場」であればこそ、国民が適切な判断を下せるという意味で、表現の自由は、民主制にとっての大前提です。

このように、表現の自由は民主制の過程そのものを構成する権利であることから、この権利が破壊された場合、他の人権とは異なり民主制の過程によっては回復されることが期待しがたいという理由で、例えば経済的自由権などよりは優越した権利であると考えられています。

 

この辺が、中学高校の社会科の授業ではなかなか教えられないところで、教科書にはまず掲載されていません。単純に人権のカタログが列挙されているだけであることがほとんどです。

 

………というところを参加者の皆さんにはわかってほしいところだったのですが、売れない小説家を演じた私自身がそれを力説するわけにはいかないため、静観しておりました。どの程度理解してもらえたでしょうか?

 

 

 

ThinkPad X240 休止状態入りに失敗

弁護士登録以来、もう20年もThinkPad使いの私ですが、現在業務で使用しているX240が昨日あたりからなぜか休止状態に入れなくなりました。

 

休止を選択すると、見かけ上は休止状態に入っていくような挙動を示して電源が落ちますが、いつもより妙に素早く電源が落ちます。そして復帰させようとしてLCDパネルを開いても、電源が入らず。おかしいなと思って電源ボタンを押すと、シャットダウンしたことになっていて、初期状態からの起動になってしまいます。

 

いろいろググってみましたが、どうも下記の記事に症状が類似しているようです。

mseeeen.msen.jp

 

とりあえず高速スタートアップを無効にしてみたところ、その直後に試しに休止状態にした際には無事うまく復帰しました。やった!と喜びましたが、うまくいったのはその1回のみで2度目以降は再び失敗。うーむ。

上記記事ではディスプレイドライバの更新でうまくいくようになったとありましたので、とりあえずSystemUpdateでドライバの更新をしてみましたが、症状は変わりませんでした。

 

現状まだ未解決。またご報告します。

 

 

 

オータムスクールに参加して その1

一日(というか日付が変わってしまったので二日)遅れですが。

 

日曜日に東京弁護士会日本公認会計士協会東京会の共催の、中学生向けの「オータムスクール」に、講師の一人として参加してきました。

 

会計教育・法教育イベント「オータムスクール2016~法律と会計を体験しよう!~」開催のご案内について | 日本公認会計士協会東京会

 

弁護士側の法教育のプログラムと、会計士側の会計教育のプログラムがありますが、弁護士側のプログラムは以下のとおり。

 

民事模擬裁判「ある男の一生」

長い苦労の末にようやくチャンスをつかめそうな無名の小説家と、その小説のモデルとされ、誰にも知られたくない秘密の過去が暴かれそうになったイケメン有名弁護士との引くに引けない法廷バトル!!
裁判官になり、弁護士が演じる裁判を見て、判決を考えてみませんか?

 

これは、私が黎明期からずっと所属している東京弁護士会の法教育センター運営委員会の行っている出前模擬裁判のシナリオの一つです。

私自身、こうした活動は弁護士登録後の最初の10年間ほどはライフワークに近い形で関与しており、9年ほど前には当該委員会の委員長も務めましたが、その後多忙もあり、ほとんど足が遠のいており、久しぶりの参加でした。

 

で、久々に復帰を図ってみたところ、現委員長の陰謀で、上記シナリオの「長い苦労の末にようやくチャンスがつかめそうな」売れない小説家の役をやる羽目になり、役作りのために週末は髭も剃らず、クローゼットの奥に眠っていたちゃんちゃんこを引っ張り出して尋問に臨みましたw

 

このシナリオは、メインの証人尋問(本人尋問)のシナリオは固定されていますが、固定の問答が終わった後、オプションで聞いている学生さんに「陪審員」役として、原被告双方に対して補充の尋問をしてもらうことになっています。要するにそこでアドリブの質問が出てくるわけです。

 

わざわざ日曜日をつぶしてこんな企画にいらっしゃるだけあって、学生さんの質問のレベルは結構高く、答えるのに四苦八苦するようなものもありました。

 

その後、アドバイザー役の弁護士がアドバイスしながら合議をしてもらって判決をしてもらうわけですが、12班の合議体中、5対6(1は同数)で惜しくも私は敗訴ということになりました。まあ、このシナリオは元々作家側に分が悪いというバランスですので、健闘したとは言えます。

 

 

 

 

トランプ大統領と民主主義と

大方の世論調査やマスコミの予想を裏切って、共和党のトランプ候補がアメリカ大統領選に当選しました。

 

アメリカ自体、いやそれを超えて、世界の秩序や民主主義の危機であるかのように報道するマスコミも多いようでしたが、当選後、トランプ氏は、予想よりは穏便な言動に終始しており、当初予想された大混乱はとりあえず収束しつつあるようです。

「いままで『当選するための候補者としてのトランプ』を演じてきたドナルド・トランプ氏が、今度は『国民や世界から尊敬される大統領としてのトランプ』を演じようとするのではないかと思います」なる楽観的な論調も出ており、そのとおりであれば望ましいことでしょうね。

www.huffingtonpost.jp

 

ただし、選挙期間中に「当選するための候補者としてのトランプ」氏が火をつけてしまった差別的、人種主義的な対立が簡単に収束するとは思えず、アメリカの民主主義においての火種として残ってしまう点は無視できないと思います。

 

民主制というものは、民主主義を破壊しかねない人物も民主的な方法で選んでしまうという欠陥を持った制度です。かのヒトラーも、政権につくまでは民主的な選挙によって選ばれ、独裁的権力を手中にした全権委任法も、民主的な選挙で選ばれたはずの議会で承認されたから成立したわけです。

 

そうであるからこそ、民主主義には、一時の民意によって、全てが変えられてしまい、民主制の基盤そのものが壊されることがないように、権力の分立と相互の牽制のシステムが組み込まれています。小学校から社会の授業で教わる「三権分立」は、その代表的なものです。

 

最近の傾向で気になるのは、どの先進国も、こうした権力相互の牽制のシステムが民主主義を担保していることが忘れられ、ともすれば単に不効率な仕組みであるという捉えられ方をすることです。

日本で言えば、衆参の「ねじれ現象」は、「決められない政治」の代名詞のように言われましたが、多くの国が何のために二院制を取っているかと言えば、二院間の権力の県政の仕組みが、立法府及び行政府の暴走を抑える機能を持っているからです。

 

民主主義にとって危険にも見える指導者が現れたときこそ、こうした権力分立の仕組みが有効に機能するのかが問われると考えます。

 

 

機動隊員と「言論の自由」と「差別発言」と

this.kiji.is

headlines.yahoo.co.jp

という発言で、鶴保沖縄北方相が炎上気味ですが、「土人」発言がトンデモで論外な件はもう措いておくとして、私が気になっているのは、同大臣の

 

言論の自由はどなたにでもある」

 

という発言です。

要するに、当該機動隊員の発言を「言論の自由」の観点から擁護しているようです。

 

言論の自由」というのがなぜ基本的人権として保障されているのか理解しているんですかね?

 

言論の自由」というのは、単に「言いたいことを言う自由」ではありません。

憲法上、「言論の自由」が保障されるのは、それが、権力に対する批判や牽制の機能を持ち、民主主義を保全する機能を有しているからです。従って、国家からの規制には最も馴染まない権利であり、憲法上も事前規制=検閲は厳格に禁止されています。

 

従って、どんな立場の人の発言であっても同じように「言論の自由」を論じることが妥当なわけがありません。

当然ながら、権力を持たない人が権力に向かって行う言論活動は、保障されるべき自由の中核的な部分であり、最も強い保障が及ぶべきです。

これに対し、権力を有する立場にある人が権力を持たない人に対して行う言論活動は、「言論の自由」として保障されるものでしょうか?

そもそも憲法上、「自由権」として保障される権利は、憲法で保障しなければ、時の権力で侵害・弾圧される危険があるからこそ、保障されているわけです。

権力者の言論は、弾圧される危険がないのですから、「自由権」として保障する必要がありません。

つまり、権力の側にある人の発言を「言論の自由」の名の下に擁護しようとするのは、ナンセンスということになります。

 

大学で少しでも憲法学を学んだことがあるのであれば、この程度の内容は必ず理解しているはずなのですが、東大法学部を卒業しているはずの鶴保大臣が、なぜこのような発言をしてしまうのか、今の自民党の中にいると、このような感覚に染まってしまうのか、非常に危惧を覚えます。

 

 

黒のものを白にできるか(2)

toyosaki.hatenablog.com

 

というエントリを書きましたが、その続きです。

 

実際に弁護士のところに来る依頼としては、北村弁護士の言うような『本当はこう(黒)だけど、こう(白)してくれ』というものよりも、依頼者自身は「白」と言っていても、どうみても「黒」ではないかと思える場合に弁護士はどうするのか。

 

どうみても「黒」と思える場合にも、いくつかパターンがあります。

 

その1 依頼者の主張する事実関係を前提にしても、依頼者の主張する法的な効果は理論的に発生しない場合。

 

我々の世界で言う「主張自体失当」という場合です。

例えば、既に普通に自主退職を認めて退職金も渡してしまったかつての従業員について、最近在職中に非行があったことが判明したので、遡って退職金を返させたいとかいうご主張のような場合がこれに当てはまります。

このような場合は、どうやっても依頼者の要望は実現できませんので、お断りするしかありません。

 

その2 依頼者の主張する事実関係を前提にした場合、依頼者の主張する法的な効果は発生するが、依頼者の主張する事実関係が不合理で、事実とは思えない場合。

 

例えば、交通事故に遭われた被害者の方が、その事故によって商談の機会を逃し、1億円の利益をふいにしたとして損害賠償の請求を主張されているような場合。

絶対ないとは申しませんが、いわゆる「当り屋」がよく使うような手口の話にも出てくるプロットであり、常識的に言ってけっこうぶっ飛んだ話に聞こえます。

このような場合は、本当に依頼者の主張されている事実関係が真実であると確認できるのか、詳細にお話を伺って、慎重に判断することになります。

詳細なお話を伺った結果、第一印象では「は?」と思えるような内容でも、意外と納得できそうな内容であることが判明してくる場合もあれば、詳細にお聞きしても一向にリアリティが感じられない場合もあります。後者の場合にはやんわりとお断りすることになります。

 

その3 依頼者の主張する事実関係を前提にすれば、依頼者の主張する法的な効果は発生するが、依頼者の主張する事実関係を立証するための証拠がほとんどない場合。

 

これが本当に困る場合ですね。

立証ができそうもない、というのが最も判断に迷います。

主張を裏づける証拠がない場合、最終的に訴訟になっても勝ち目がないことになりますし、それ以前に弁護士自身が心証が取れないというのが問題です。

 

このような、その2その3の場合、依頼を引き受けられるかどうかのハードルは結構高いと言わざるを得ませんが、他方で、引き受けた場合に、意外にもその後勝訴まで持って行けてしまう場合も実は一定数存在します。

 

それがどのような場合なのかについては別途お話ししたいと思います。

 

 

 

 

黒のものを白にできるか

「行列」の北村晴男弁護士が

 

「明らかに黒(有罪)だとわかっているのに、白(無罪)にしてくれと言われたことは?」

 

と聞かれて、

 

「刑事民事に限らず『本当はこうだけど、こうしてくれ』って言われたことはいくらでもあります」

「それは、100%全部断ります。」

 

と答えていることが少しだけ話題になっているようです。

grapee.jp

 

これって実は、我々弁護士にとっては当たり前のことです。

しかし、その本当の理由は北村弁護士が説明しているように「イヤだから」とか、「ストレスがかかるから」という個人的な理由とは少し違います。

 

弁護士には、依頼者の権利を擁護する義務に優先して、真実尊重義務(真実義務)があるとされています。これは、弁護士法1条において、基本的人権擁護及び社会正義実現が弁護士の使命とされていることに発する義務です。

 

従って、いくら依頼者の利益のためといっても、依頼者自身が真実に反すると認めている内容を主張していくことはできません。そのような意向を依頼者が有した場合、弁護士がその依頼を受けることは、弁護士職務基本規定31条で「弁護士は、依頼の目的又は事件処理の方法が明らかに不当な事件を受任してはならない」と定められていることに反し、懲戒の理由にもあり得ることなのです。

日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:弁護士倫理(弁護士倫理委員会)

 

北村弁護士がこの辺を説明しなかったのは、おそらく理屈が面倒くさかったのかなと思いますが。

 

さて、実際に弁護士のところに来る依頼としては、北村弁護士の言うような『本当はこう(黒)だけど、こう(白)してくれ』というものよりも、依頼者自身は「白」と言っていても、どうみても「黒」ではないかと思える場合です。

この場合には、依頼者が認めていない以上は、弁護士の真実義務の問題は原則生じません。従って、弁護士が受任すること自体は可能と言うことになりますが、実際にはいろいろ難しい問題が生じます。この辺は長くなりますので、日を改めてということで。